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滑走路のために

僕が海外でデザイナーとして働くのに必要なこと

来たるべき未来のために

 

入社して3年がたちました

今の会社に新卒で入社して丸3年が経った。

会社員で空間デザイナーをしている。

 

 

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3年仕事していると仕事がわからなくてあたふたするのもとっくに落ち着いて、冷静に周りが見えるようになってくる。降って来た仕事に対して「やらなきゃ!」って脊髄反射的に反応するのではなくて「これやる意味あんのか?」とか「これってもっと根本的にシステムをこうしたら労力半分で済むのに」とかあれこれ考えるようになる。

 

会社の内線も心臓に汗かきながら取ってたのに気づけば「はいはーい」とか言いながら取ってる自分がいるし、とにかく人間ってちゃんと環境に順応できるように出来てるんだなって勝手に関心した次第。

 

あとは結構同僚もぼろぼろ辞めていって、上の人が結婚退職とか転職でいなくなるし、下は下でどんどん入って来て色んな人に敬語を使われ始めるわで、気づけば「前からこの会社にいる人」の部類に入っている自分が出来上がっていてびっくりした。

ここまでプロローグね。

 

 

新しい世界がやってくる

そんな折、僕は漠然とした不安を感じていた。

「このままで大丈夫なわけない」というとにかく漠然なものだったが。

 

これから間違いなく新しい世界がやってくる。

いやいや、AIのロボット(それこそドラえもんみたいなやつ)が登場するのなんてまだまだ先でしょと思うかもしれないけどそうでもない。世界中がインターネットで繋がってクラウドであらゆる物事を共有できるようになった現代では、全ての物事が今までとは比べ物にならない速度でやってくる。具体的には20年後には何もかもが変わっていると僕は考える。

 

これから未来で起きることは(リンダ・グラッドンは2025年の未来と表現している)

産業革命並みの変化を世界にもたらすだろうと言われている。

 

コンピューターのコストが下がりITインフラが途上国でも整備されることで

世界の50億人がインターネットで繋がる。

クラウドも普及して最先端のテクノロジーが世界の隅々まで行きわたる。

結果生産性が向上し続けて、24時間365日眠らないグローバルな世界が生まれる。

そしてAIが飛躍的に成長してあらゆる分野でロボットが労働者に取って代わる。産業革命のときみたいに大量の失業者が出る。同時にインドと中国の人口が増え続けて経済成長し続けて、インドは世界のバックオフィスとして、中国は世界の工場としてスタンダードになる。あるいはなりつつある。これによって日本の会社員はAIとインド人と中国人にめっちゃ仕事を取られて失業者が出まくる。

 

会社に行って仕事をする。給料日にお給料が入る。

そんな当たり前の日常は20年後にはないかもしれない。

僕はなくなると思っている。

 

ただでさえなくなりかけているエネルギーが将来的に枯渇して、同時にインドと中国の経済発展によってエネルギーの需要が跳ね上がるから交通のコストが高騰する。

つまり、モノが動かなくなる。

インターネット・クラウド上の情報・データのような重さのないものはびゅんびゅん世界中を飛び回って、モノや人のような重さのあるものが容易に移動できなくなる未来もすぐそこまで来ている。移動コストが上がればテレワークのような働き方が推奨されるようになるし、そうなると日本の仕事の価値観も大きくシフトしていくだろうと思う。

 

なぜ働くのか

これと並行して働く意義みたいなものも大き揺らいでいる。これはすでに今の就活世代に起きていることだけど、「さとり世代」というか、「安定して働けて、給料が少なくても自分の時間が取れればいい」という価値観が広まれば日本の経済成長率が下がる。

かといって従来の大量消費主義・資本主義的な発想で「働いたお金でモノを買おう!」とはいかなくなってくる。モノを買ってモノに囲まれる生活が必ずしも幸せをもたらすわけではないことを僕たちはもう知ってしまったからだ。

 

「生きていくことができる」程度の生産活動がもはや機械によってなされる時代のことを考えると、ベーシックインカムの話になっていくのは当然の流れだと僕は思っていて、ベーシックインカムが本格的に導入されたとき、ぼくたちはなぜ働くのかという問いに(もう一度)放り出されることになると思う。

 

WETな備忘録

 

真にグローバルな世界がやってくるとして、それにどう対応するのか、迎え撃つのかを考えるのも大事だし、同時に「なぜ働くのか」という根源的な問いに自分なりの答えを出さないとあやういと考えている。

 

日本人は今すぐ海外で仕事してみたほうがいいと思う。ハッピーになるためではなく、強くなるために 

WETな備忘録

 

このエントリーのこの一文が最高に刺さったんだけど、

僕たちはこれから「幸せになるためじゃなくて、強くなるために」働き方に向き合わなくちゃいけないんだと思う。向き合い方は人それぞれだろうけれど、多くの社会人はグローバル化とかAI普及みたいなキーワードから逃れられないと思うので、そうなると上記の通り「今すぐ海外で仕事してみたほうがいい」という結論に達するのはもっともだとおもう。

 

 

 

 

 この本に色々書いてあるよ

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

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 今読んでいる本

海外でデザインを仕事にする

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andy0330.hatenablog.com

 

おしまい

普段の持ち物

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会社でもプライベートでも

普段から持ち歩いているものについてご紹介。

 

とはいえ僕はフリーランスのデザイナーではなく、

普通の会社勤めのデザイナーなので

いわゆる「仕事道具」というものはほとんど持ち歩かないです。

 

1手帳(ほぼ日手帳)

スケジュール帳、思いついたことのメモ書きとして。

ほぼ日手帳は1日1ページで使うことができるので

仕事のこともプライベートのことも好きなように(落書き帳のように)

活用しています。

2手帳(Travelers note)

トラベラーズノートは新聞や雑誌のスクラップブックとして活用してます。

デザインに関するニュースだったり、単純に面白いと思ったニュースやトピックを切り抜いてアラビックヤマトの糊で貼っています。

そうしておけば人と話している時でも「あそういえばこんな記事あったな」

と情報の物理的なストックとして活用できるので重宝しています。

3財布(Hunting World)

父から譲ってもらった財布を使っています。

4スケッチブック(クロッキー)

スケッチの練習をしたり仕事で使うスケッチブックです。

美大に入る前から使っているモデルなので、初心忘れずにではないですが

「あの頃のように貪欲に」と思って使っています。

5カードケース(Paul Smith)

普段使うカードと名刺ケースとして活用しています。

会社にこもってずっとデザインをしているので名刺を出す機会は

とてもすくないのですが。

6コインケース(CHUMS)

コインケースは前は革張りのものをこだわってい使っていたのですが

コインってとても汚いのですぐに内側が真っ黒になってしまい....。

それが嫌で割り切って安いコインケースを使うようになりました。

これは確か1000円くらいだったと思います。

 

 

 

Amazonでありましたね。

小さくて使いやすいですよ。

7ペンケース(ピーナッツ)

ペンはこだわっているので色々詰まっています。

また別の機会にご紹介します。

8電子辞書(SHARP)

電子辞書は肌身離さず持っています。

前は国語辞典を持ち歩いていたのですがとにかく重いので

思い切って電子辞書に切り替えました。

9日記帳(Moleskine)

日記というか雑記帳というか。

文章を書く練習もかねて持ち歩いています。

日記はかれこれ10年以上つけていると思います。

10音楽プレーヤー(walkman)

いつも持ち歩いています。ボサノヴァがお気に入り。

11書籍

本の書籍を持ち歩いています。

12カメラ(FUJIFILM)

カメラは趣味で持ち歩いています。

仕事で撮影が必要な場合は別のちゃんとしたものを持ち出します。

13香水(金木犀)

この香水は7年くらい同じものを使い続けています。

14 電子書籍(Kindle)

Kindleは使い方を検討中で、小説は基本的になんども読み返したりは

よほどのものでない限りしないのでkindleで済ませています。

本当はkindleで出ている本は全てこちらに写して紙の本は処分したいのですが

自分なりに色ペンで色々書き込んでいたり、あとはちょっと調べるときにぱっと開くことができる点においてはkindleは紙には及ばないので迷っています。

15ケータイ(Nexus 6)

個人ケータイです。会社ケータイはありません。

主要なスタッフとはLINEで繋がっているのでこのケータイでやりとりします。

 

 

まとめ

 

以上が現状の僕の持ち物になります。

僕は自分の持ち物をあれこれ考えたり工夫したり、入れ替えて写真を撮って吟味するのが好きなのでまた変わったらこんなふうに公開したいと思います。

 

サラリーマンになりたくなかった

幼稚園時代

 

まず、僕の幼稚園時代の

すごく恥ずかしい話。

 

「将来大きくなったら何になりたい?」

という質問を度々されたこともあって、

自分は大きくなったら何かになると思った。

 

 

 

それは「宇宙飛行士」であり「サッカー選手」であり

「先生」であり「警察官」であった。

 

 

 

僕は「サラリーマン」という仕事があると勘違いしていた。

この勘違いが一体いつ、どの段階で発生したのかはわからぬ。

 

 

当時の僕の持論はこうだ。

 

「サラリーマン」は会社に行くのが仕事だ。

会社に行って、お金を造っている。(造幣)

そして、造ったお金を「お給料」として貰っている。

 

幼稚園生の僕は毎朝「サラリーマン」の父を

見送りながらベルトコンベアに乗せられた500円玉を

せっせと加工する姿を想像した。

 

 

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小学校時代

 

小学校になるとさすがにそこまで酷いことは考えなくなった。

自分の脳内イメージにあった「サラリーマン」は会社勤めの営業職だということがわかった。

しかし未だに「サラリーマン」が具体的に何をしているのかわからぬ。

 

 

 

僕がサラリーマンを想像するにあたって素材となる映像材料といえば

テレビしかなかったので、僕はテレビにある「サラリーマン像」を信じた。

 

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・スーツを着る

・満員電車に揺られる

・部長に叱られる

・クライアントに謝る

・深夜パソコンに向かってカタカタ文字を打つ

・会議に出る

・電車で色んなところに行く

・移動しながら電話をする

・名刺を交換する

 

だいたいこんな感じ。

「サラリーマン」は上のようなことをするのが仕事だと思っていた。

あるいは未だにそう思っている節がある。

 

僕は一度両親に「僕はサラリーマンにだけはならない」と断言したことがある。

親は相当ショックというか、「こいつすげえこと言ったぞ」みたいな顔をした。

たぶん今思えば彫刻家とか作家にでもなると思われたのだと考えられるけど

僕が言いたかったのは「ネクタイをしめて満員電車に毎日揺られて部長に怒られるのは嫌だ」ということだった。

 

 

そして現在、社会人

 

たぶん僕が今デザイナーとして働いているのは、

そういう意識があったからというのも大きいかもしれない。

子供の頃の思想ってばかにならない。

 

会社に営業の人はたくさんいるけど、

今でも僕は企業の営業職が具体的に何をしているのか完全には把握していない。

 

 

僕は企業勤めのデザイナーなので、

週5日、9時に出勤して18時に退勤する契約を結んでいる。

間に合わなければ残業をする。そして会社から給料をもらう。

 

僕は自転車で通勤しているので満員電車とは無縁だ。

デザイナーは私服OKなので毎日パーカーとか来て会社に行っている。

仕事は営業とやるのでクライアントからは怒られない。

部長に叱られたりというのもない。

 

 

 

 

つまりある意味、子供の頃の夢を叶えている。

こういう夢の叶え方もあるんだなと思う。

 

 

 

 

理想の働き方って人それぞれだと思うけど、

デザイナーという職種を選んだ僕の決め手は

こういうところから来ている。

 

 

 

おしまい

美大生がパソコンを買った時に最初にやるべきこと

僕が美大に入ったとき

 

美大に入って一ヶ月が経ったとき

「これは自分のパソコンがないと授業についていけない」

と悟った。

 

学校には高性能なパソコンが完備されていたが、パソコン室の利用時間は限られていたし、課題提出前はパソコンの取り合いになってパソコンにありつけないということもザラだったのだ。

 

デザイン科生徒は家に帰ってから徹夜したり休日もパソコンにかじりついて作品を仕上げたりすることが多い。そうなると自由に持ち運べる自分のノートパソコンが必須だった。

 

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windowsかマックかどちらにするべきか人に訊いたりネットで調べたりしたが結局「昔はマック一択だったけど最近はどちらでも良い」ということだった。それで

どちらでもいいなら使い慣れていない新鮮味のあるマックのほうがいい!

マックのほうがデザイナーっぽいし!

という安易な理由で僕はマックブックを買うことにした。

 

 

買うことにした。とか言っておいてお金はなかったので父に借りた。

本当は貯金して買うべきなのだろうがすでに僕は「パソコンが手元にない→家で課題ができない→学校に遅く残る→バイトができない」というデス・スパイラルに陥っていたので急務だった。パソコンは13万円くらいしたので毎月1万円ずつ返して大学2年生の春に返済した。

 

 

そして美大で起こる悲劇

 

ゴールデンウィークがあけると僕と同じ経緯で自分のパソコンを持ち歩く人が増えた。圧倒的にマックが多かったように思う。(ちなみに僕は今仕事でwindowsを使っている)僕もマックにillustratorやPhotoshopを入れて課題提出用のプレゼンボードをせっせと作った。

 

ところが!なんと大学内でパソコンの盗難が多発。

美大生という貧乏人が集まるとこういう悲劇が起こる...。盗まれるパソコンはマックばかり。マックはどのモデルもデザインが似通っているので盗んでも初期化してしまえば盗品だってばれずに使えるし、盗まれたことにも気づかないかもしれない。これはiPhoneが本格的に流行したときにも日本中で起きていたことだ。

 

 

解決策は

 

 

美大生がパソコンを買った時に最初にやるべきこと

 

それはステッカーを貼ることだ。

 

 

 

僕は昔別のブログで「スタバの外人のパソコンはステッカーまみれ」という記事を書いたことがあるが、なぜ外人のパソコンがステッカーまみれなのかと言えば「盗まれないようにする」ためだ。

 

 

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彼らはステッカーを貼ることによって

 

①転売商品としての価値を下げ

②盗んでもすぐにバレることを誇張し

③自分でステッカーを楽しんでいる

 

のだ。

イタリアの自動車はどれもすごく汚い。

泥だらけだし雨が降った後も車を拭いたりしないのだ。

なぜかといえば綺麗な車は盗まれるからだ。

 

あえて車を汚しておくことで

「この車は盗んで売っても価値がないよ」とアピールしているのだ。

 

 

僕が貼ったステッカー

 

 

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僕は「ステッカーを貼れば盗難率が下がる」というアイデアを思いついてすぐにステッカーを貼った。上の写真は当時の写真。

 

今でもこのパソコンでブログを書いているんだけど現在ステッカーがどうなっちゃってるのかは最後に貼ります(笑)

 

これを周りに話して皆にステッカーを貼るように勧めたが

「マックパソコンはこのままで使うのが美しいんだ。これがデザインなんだ」

とスティーブ・ジョブズみたいなことを言い出す人もいて、

やっぱりまっさらなままでマックを使いたい人も多かった。

 

 

現在

 

 

このパソコンは戦友だ。

美大生活5年間を(留年している)このパソコンと共に駆け抜けた。

 

特に就活前のポートフォリオ作成のときはすごかった。マックがなかったら絶対乗り切れなかったと思う。ちなみにパソコンを買った次に美大生が買うべきものは「A3が出力できるプリンター」です。(笑)

 

A4までのプリンターは安いけど絶対A3を買ったほうがいい。

提出用の資料や図面の規格は大体A3だからだ。

 

 

大学入学した時にこのパソコンを買ったので今年で7年使っていることになるが

どこも悪くならないし快適に作業している。

今は会社員としてデザイナーをやっているので

このノートパソコンで仕事をすることはなくなった。

僕のマックは退役軍人さながら

もっぱらネットサーフィンとこのブログ執筆に持ち出されている。

 

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ちなみにこれが現在の僕のマック。

盗まれまい!

 

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

美大生だけがかかる病気

 

美大生だけがかかる病気で「原研哉病」というのがある。

もちろん半分冗談だけど。

 

 

原研哉さんは日本を代表するグラフィックデザイナーだ。

松屋銀座とか蔦屋書店と言えば思い浮かぶ人が多いと思う。

 

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この病は原研哉の書籍を読んだり

デザインにハマったりすることで発症する。

 

症状が完全に消えるまでだいたい1年、長い人だと何年もかかる人もいる。

 

美大生の何割かは必ずこの病にかかっていて、

苦しんでいたり苦しんでいなかったりする。

 

 

 

具体的にどんな症状が出るのかと言うと、

デザインで色が使えなくなってしまう。

 

 

白

 

 

 

あらゆるプロダクトやグラフィックが

白ベースになってしまい、

やたらと余白を強調したデザインしか出来なくなってしまうのだ。

 

 

 

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ただ原研哉が生み出すものが白いのは長年のデザインの蓄積の中で彼が「たどり着いた」からそうなっているのであって、その辺の美大生が作品を白くしたところで「色を塗っていないだけ」なのである。そのことに気づくのにだいたい1年くらいかかる。

 

 

病を克服するまでの間は「これがスタイリッシュだ」と言わんばかりに白いデザインを作り続けるはめになる。

たちが悪いのは白いものをつくるのは簡単だということだ。

 

例えばポスターのデザインをするとして、写真を入れるでもなくイラストを置くでもなく真っ白な空間にポツリとキャッチコピーをやたらと小さく入れる。課題提出みたいな。そして教授に叱られる。「ちゃんとやれ」と。そして学生は首をひねるのだ。「尊敬する原研哉みたいにデザインしたのになぁ。と。

 

 

 

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僕は大学3年の頃、この病にもろにかかり、特に「DESINING DESIGN」や「日本のデザイン」をひたすら読み込み、教祖のように崇めたてた。というかそういえば就職活動のときも原研哉が代表をつとめる「日本デザインセンター」という事務所に履歴書を送っていたわ。

 

日本の引き算の美学みたいなものは「シンプル」ではなく「エンプテイー」なのだ。そこには猶予や余地といった要素が備えられている。それは能や狂言でも言えることなのだけれど手が加えられていない空白の部分をあえて残しておくことで真理を伝えたりより深く物事を表現することができるという発想は全て原研哉の書籍から学んだ。

 

 

ただ何度も言う通りこの病に取り憑かれるととにかく色を使わなくなってしまうので注意が必要。色が使えるのにあえて白を使うのと、白しか使えないから原研哉っぽいデザインをでっちあげるのとでは天と地の違いがあるし、そのまま勉強を続けるとどこかで必ず無茶苦茶苦労することになる。今でも色を組み合わせたりするのは(色彩検定の資格をもっているくせに)苦手だ。

 

他にも亜種の病で透明なものにしか価値が見出せなくなる「吉岡徳仁病」や、原研哉病を拗らせた結果、白い価値観から出られなくなった人が行き着く「深澤直人病」があるが、彼らは巨匠であらゆる表現を試した結果行き着いたのであって、行き着いてもいない美大生がそれを繰り返して作品を気取ってもそれは本物ではないのだ。

 

 

まあ、それでも原研哉の書籍はすごく勉強になる良書なので

危険な劇薬であることは疑いようもないのですが。

 

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

 

 

 

デザインのデザイン

デザインのデザイン

 

 

 

おしまい。

【就活奮闘記】カーデザイナー

 

僕の原点

 

 

 

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15歳のときに父親に連れられて東京モーターショーを訪れた。

そこで展示された異形のコンセプトカーを目にして、

「カーデザイナーになりたい。」と思った。

 

その瞬間が僕がデザイナーになる道の最初の一歩だった。

 

 

 

 

それから3年、神奈川の美術予備校を経て

美術大学に入った。ここまでは良かった。

 

 

 

ところがいざ大学に入ってみると

本当に様々な種類のデザインがあって途方に暮れてしまった。

 

カーデザインなんてものは「かっこよくてわかりやすい」仕事だからメディアに取り上げられたりしているのであって、実際にはボールペンをデザインしている人、リモコンをデザインしている人、チラシをデザインしている人、コミュニケーションをデザインしている人.....ありとあらゆるデザインがこの世にはあり、それはデザイナーの手によって世に送られているのだという、まぁ当たり前のことなんだけど、その当たり前のことを理解したのが大学1年生のときだった。

 

 

 

 

子供が親戚の人に一番される質問は「学校は楽しい?」と「将来何になりたい?」だと思うけれど、子供が答える回答は5つくらいしかない。宇宙飛行士・サッカー選手・先生・パン屋さん・ケーキ屋さんだ。

 

18歳の僕は「将来何になりたい?」と問われて「カーデザイナー」と答えた。それは、子供が目を輝かせて「サッカー選手」と答えるのと何ら変わりなかったのだ。

 

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世の中には実に様々な仕事がある。

税理士や動物園の飼育係、ドッグブリーダーやバリスタ....

そういったあらゆる職業を子供は大きくなるにつれて少しずつ知っていく。

そして「おれ宇宙飛行士になりたいわけではないかも?」と気づく。

 

僕はそれが少し遅かったのだ。

 

 

 

ともあれ、大学1年の段階でそれに気づいたのは良かった。

僕は焦点をカーデザイナーから外して、まずは自分の入った「工業デザイン」というジャンルの中で様々な専門分野を学んだ。変に進路を絞らなかったおかげで家具からロゴデザインまで色々な作品をつくることができたが、4年間が過ぎるのあっという間で、進路を決めなければならない時はすぐにやってきた。

 

 

 

 

エントリー

 

大学の求人票でトヨタの求人募集を見かけた。

そして僕は唐突に思い出したのだ。

 

自分がカーデザイナーになりたかったということを!

 

 

予備校時代に何度も観た、

「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組の

奥山清之さんが登場する回。

 

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アジア人で唯一イタリアで

フェラーリのデザイナーとして働くデザイナー...。

 

トリノの街角でちょっとした紙に思いついたデザインをすらすら絵にしていくのを観て「おれもいつかあんなふうに...!!」と毎晩のように思ったのを思い出す。

 

 

 

これだこれしかない!

 

 

 

(僕は就活でエントリーする度に激しい思い込みに陥る。

さながら、ガラスの仮面みたいに。)

 

「カーデザイナーを志して美大に進学するも、日々の忙しさにその夢も忘れ4年が経ったー。就活を前に突如一枚の求人票が現れる。それは中学時代夢見た、カーデザイナーへの切符であった。」

 

というナレーションが頭の中で鳴り響いた。

 

一次試験

 

その日のうちに僕はトヨタのデザイン職にエントリーした。

そのあと一次試験としてどこかのビルでSPIの試験を受けた。

一人一台のデスクトップの前に座らされて、

クイズみたいに色々な問題が出題された。

 

僕はSPIの試験があまり好きではなく、好きでない限り対策もしなかったのだけれど

この時はたまたま通った。(なぜ大学卒業を前にした人間が、円の周りを秒速x cmで進む点Pのことを気にかけなければならないのだろう?)

 

二次試験

 

二次試験は実技だった。

デッサン用の鉛筆とか持ってきていいよ、

みたいな説明が事前にあった気がする。

 

 

まずはデッサン。一枚の資料が配られた。

トヨタのクラシックな車の平面図・立面図で、これを参考に想像力を膨らませながらデッサンしなさいということだった

 

時間は1時間だか2時間だか与えられたので

かなり細部まで描き込まなければならなかった。

 

美術大学に入るときの入学試験はデッサンで入っているので一定のスキルはあったはずだがそれが入学前の話で、大学に入ってしまえばスケッチはしてもデッサンはしない。よってかなり久しぶりのデッサンになってしまった。

でも周りもデッサン慣れしていない人ばかりという印象だった。

 

美術予備校に行っていた人ならわかると思うけど、デッサンに集中してずっと手元で作業していると全体の形がおかしくなってしまうのだ。なので、下手くそだろうが天才的にデッサンができる人だろうが、デッサンをやったことのある人は一定時間ごとに絵を壁とかに立てかけて離れて自分のデッサンを眺める。

僕は頻繁にこれをやって車のバランスやパースがおかしくないかどうかを観察していたのだけれど周りにそういう人がいなかったのが印象的だった。美大出身の人間が少なかったのかもしれない。

 

 

 

 

デッサンが終わった後は昼食だったが、昼食の前に事前に午後の試験内容が告知された。「100万で車をデザイン・提案しなさい」というものだった。

100万の車?一体どういう車だ?と僕は頭を捻った。

 

ティーダっていくらだろう?アクアは?マーチは?

ごちゃごちゃ考えていると、傍で弁当を食べていた二人組が「100万円つったらシートはこうで外装はこんな感じになるよな。」みたいなことをペラペラ話し始めた。

「今日曇りだったから明日雨降るかもな」くらいの

日常的なニュアンスを含んだ会話だった。

その玄人じみた二人組の会話に釣られるようにして他の受験生たちも「やっぱりそう思います?」「5人乗りのファミリー向けだと重量どのくらいになりますかね」「排気量がこのくらいだとFRだとして採算がなぁ」などと口々に言い合い、全体が車談義みたいになった。

僕は明らかにそこから浮いていて(あるいは沈んでいて)黙々と弁当を食べた。ここは僕の居場所ではないなとかすかに思った。まあ、読んでて感じるかもしれないけどなかなか惨めでしたよ!

 

 

 

 

そんなこんなで二次試験のカーデザインをこなして、帰った。どんなものを描いたのか覚えていない。とりあえずファミリーカーで街乗りに合うデザインを考えて、30代の主婦が子供の送り迎えや買い物に使える小回りの利く車、というペルソナを設定して文章を書き加えた。試験終了30分前に車の内装をスケッチに入れてる人がいて、「エッ!内装も提案すんの?!」と焦って描いたこともない内装を見よう見まねで描いた。かなり凄惨だった。

 

それでその日僕は打ちひしがれたようにがっかりして帰った。

後から調べたらカーデザインの専門学校が都内にいくつもあって、おそらく彼らはそういうところ出身なんだろうということだった。それならば車の絵に特化していてデッサンが不慣れなのもうなずける。

 

ポートフォリオを用意していたが、思えばカーデザインの作品なんて一つも持っていなかった。用意が悪いとかそういう以前の問題で、僕は土俵に立ってすらいなかったのだ。

 

 

カーデザイナーは15歳の頃の夢で、それが21歳のときにまた浮かんで、つい無意識に追ってしまっただけだ。そう自分に言い聞かせた。

 

 

そして今

 

僕は東京モーターショーに出展するブースをデザインすることになった。

今25歳なので、あのときからちょうど10年経ったことになる。

10年の道のりを経て、当時思いもよらなかった形で僕はデザイナーになり、カーデザインに少しだけ関わっている。

つくづく人生はわからないなと思う。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【就活奮闘記】指輪デザイナー

エントリー

 

 

美大時代の思い出話。

 

 

大学4年の6月1日に就活を始めた。

何者になればいいのかわからないままのスタートだ。周りの美大生たちも何者になればいいのかわからないようだった。

 

 

大学に「就職支援課」という場所があって、そこでは就活支援スタッフの方からアドバイスをもらったり、大学に届いた求人票を閲覧できるようになっていた。

 

 

そこで求人票を片っ端からめくっていた時「ブライダルリングデザイナー」なる職種に目が止まった。

 

 

これだ。これしかない。

 

僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 


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なにが「これしかない」なのかは良くわからないが僕は昔から思い込みが強い傾向があって、親がこの光景をみたら「やれやれまたか」とため息をついただろう。

 

実は当時僕はアルバイトでスタジオカメラマンとして働いていて、年間に300組くらいの新郎新婦の前撮り写真を撮っていた。

 

花嫁姿の新婦を見て照れる新郎や、出来上がった写真を見て「こんな私初めて見た」と感動する新婦、同席して撮影風景を見ながら涙をにじませるご家族を相手にしながら僕は誇りを持ってカマラマンという仕事をこなしていた。

 

そう、それでブライダルという分野に親近感があったのだ。新郎新婦を撮影している中で「二人の一生の記念をこうやって形に残せるなんて素晴らしい仕事だな」という気持ちがあった。

 

 

―今度はデザイナーの立場としてブライダルリングの制作に関わり、二人の一生の記念を紡ぎたい―

 

 

おっなかなか良い台詞じゃん。

これだこれしかない。僕は上に書いたようなことをそのままエントリーシートに書いて、履歴書と一緒に京都の本社に郵送した。昨日までそんな仕事があることなんて知らなかったくせに、もう気持ちは完全にブライダルリングデザイナーの卵だった。

 

 

 

 

試験会場

 

そしたら一次が通ったというので二次試験を受けることになった。

二次試験では筆記と実技、それからポートフォリオ閲覧があるという。(ポートフォリオとは在学中に制作した作品集のことでデザイナーの就活ではマストなんだけどこれはいずれ詳しく述べる)

 

会場は東京か京都で選べるようになっていた。

 

ところが東京が他の説明会と被っていて都合が悪かった。そこで僕は京都にわざわざ行って試験を受けることにした。

東京会場の日程の都合が悪かったというのもあるが、「東京からわざわざ試験のために足を運ぶなんて凄い情熱だ」と思わせるのが狙いだった。

(振り返ってみるとなかなか浅はかだ。)

 

大きなポートフォリオを抱えて深夜バスに乗って新宿駅から京都駅へ。朝に京都に着いてそのまま試験会場へ、試験が終わったらまた高速バスで東京に戻るという貧乏美大生らしいスケジュールだった。

 

早朝京都駅へ。

浅い眠りで頭がフラフラする。駅前のスターバックスでポートフォリオのチェックをしながらパンとコーヒーを胃に流し込んだ。

タクシーで会場に向かったが案の定というか若干遅刻した。会場入り口で待っていたスタッフは「はらるばるよく来たね」的なことを言ってくれた。

 

遅れつつも筆記試験をすべて受けた。国語・数学・社会をやったと思う。一般教養みたいなやつだ。

 僕は深夜バスでの疲労と、遅刻を気にしながら足早に会場に向かったことによる息切れでうまく筆記に向き合うことができなかった。

 

 

実技試験

 

そのあと休憩を挟んで実技試験が始まった。まずそれぞれA3の紙と折り紙の束、アラビックヤマトの液体のりが配られた。「うわー嫌な予感がするなー」と僕は思った。

 

「折り紙を使ってA3上で春うらら、を表現しなさい 制限時間1時間」

 

 

と言われた。予感的中。

かなり奇抜な実技試験だ。デザイナーの新卒採用試験ってみんなこんななの?と動揺した。

 

折り紙のパッケージを開けて中を見ると24色の四角い折り紙が収まっている。どうしたものかと考えてる間にも時間は過ぎていく。何しろ1時間しかないのだ。

しばらくするとあちこちから折り紙を手でちぎる「びりびり」という音が聞こえてきた。ハサミが配られていたのでちぎるしかない。結局僕は大したコンセプトを練ることが出来ず、花かんむりを被った女の子を制作することを決めた。

 

菜の花のための黄色と黄緑の折り紙を無心にちぎりコピー用紙に貼り付けていく。スーツ姿でこんな幼稚園児みたいなことをしてるのが面白かった。

 

 

そのまま試験は終わった。

とにかく正解のない試験なので達成感も何もあったものではない。

 

制作した作品はすぐに回収されてしまったので他の人の作品は見ることができなかった。今でもあのとき、周りの人がどんな作品を作ったのかすごく気になる。

 

東京に帰るときのことはほとんど覚えていない。バイト先へのお土産で京都バームクーヘンを買いながら「今回みたいな強行スケジュールはもうちょっと無理だな」と思った。ただでさえ就職活動にはお金がかかるからだ。

 

 

その後

 

試験の結果は不合格。

ポートフォリオも郵送で返ってきた。思えば僕のポートフォリオは工業デザインやパッケージデザインなどが多く、彫金やクラフトの作品なんてひとつもなかった。当たり前だ。指輪デザイナーなんてこないだ思いついたんだから。 

 

僕は大学で彫金にのめり込んできたであろう他のライバルたちのことを想った。「そうだよな。おれじゃなくて君たちだよな」と一人で勝手に納得して指輪デザイナーは諦めることにした。

 

あれだけ燃えていたくせに(京都まで行ったのに)落ちたら落ちたで執着しないのが僕のいいところであり悪いところであった。

とにかく、次を探さなければならなかったのでくよくよしている暇はなかった。

 

ただ、僕にはあまり焦りはなくて「ここは僕とマッチしなかったんだな」くらいにしか捉えなかった。

 

この価値観は就活においてすごく大事だと自分で思う。そうでなければ落ちるたびに自分の価値を疑うようになるし、そんなことを続けていればいつか必ず心が折れてしまうからだ。

 

 

つづく