デザイナーの頭ん中

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【就活奮闘記】指輪デザイナー

エントリー

 

 

美大時代の思い出話。

 

 

大学4年の6月1日に就活を始めた。

何者になればいいのかわからないままのスタートだ。周りの美大生たちも何者になればいいのかわからないようだった。

 

 

大学に「就職支援課」という場所があって、そこでは就活支援スタッフの方からアドバイスをもらったり、大学に届いた求人票を閲覧できるようになっていた。

 

 

そこで求人票を片っ端からめくっていた時「ブライダルリングデザイナー」なる職種に目が止まった。

 

 

これだ。これしかない。

 

僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 


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なにが「これしかない」なのかは良くわからないが僕は昔から思い込みが強い傾向があって、親がこの光景をみたら「やれやれまたか」とため息をついただろう。

 

実は当時僕はアルバイトでスタジオカメラマンとして働いていて、年間に300組くらいの新郎新婦の前撮り写真を撮っていた。

 

花嫁姿の新婦を見て照れる新郎や、出来上がった写真を見て「こんな私初めて見た」と感動する新婦、同席して撮影風景を見ながら涙をにじませるご家族を相手にしながら僕は誇りを持ってカマラマンという仕事をこなしていた。

 

そう、それでブライダルという分野に親近感があったのだ。新郎新婦を撮影している中で「二人の一生の記念をこうやって形に残せるなんて素晴らしい仕事だな」という気持ちがあった。

 

 

―今度はデザイナーの立場としてブライダルリングの制作に関わり、二人の一生の記念を紡ぎたい―

 

 

おっなかなか良い台詞じゃん。

これだこれしかない。僕は上に書いたようなことをそのままエントリーシートに書いて、履歴書と一緒に京都の本社に郵送した。昨日までそんな仕事があることなんて知らなかったくせに、もう気持ちは完全にブライダルリングデザイナーの卵だった。

 

 

 

 

試験会場

 

そしたら一次が通ったというので二次試験を受けることになった。

二次試験では筆記と実技、それからポートフォリオ閲覧があるという。(ポートフォリオとは在学中に制作した作品集のことでデザイナーの就活ではマストなんだけどこれはいずれ詳しく述べる)

 

会場は東京か京都で選べるようになっていた。

 

ところが東京が他の説明会と被っていて都合が悪かった。そこで僕は京都にわざわざ行って試験を受けることにした。

東京会場の日程の都合が悪かったというのもあるが、「東京からわざわざ試験のために足を運ぶなんて凄い情熱だ」と思わせるのが狙いだった。

(振り返ってみるとなかなか浅はかだ。)

 

大きなポートフォリオを抱えて深夜バスに乗って新宿駅から京都駅へ。朝に京都に着いてそのまま試験会場へ、試験が終わったらまた高速バスで東京に戻るという貧乏美大生らしいスケジュールだった。

 

早朝京都駅へ。

浅い眠りで頭がフラフラする。駅前のスターバックスでポートフォリオのチェックをしながらパンとコーヒーを胃に流し込んだ。

タクシーで会場に向かったが案の定というか若干遅刻した。会場入り口で待っていたスタッフは「はらるばるよく来たね」的なことを言ってくれた。

 

遅れつつも筆記試験をすべて受けた。国語・数学・社会をやったと思う。一般教養みたいなやつだ。

 僕は深夜バスでの疲労と、遅刻を気にしながら足早に会場に向かったことによる息切れでうまく筆記に向き合うことができなかった。

 

 

実技試験

 

そのあと休憩を挟んで実技試験が始まった。まずそれぞれA3の紙と折り紙の束、アラビックヤマトの液体のりが配られた。「うわー嫌な予感がするなー」と僕は思った。

 

「折り紙を使ってA3上で春うらら、を表現しなさい 制限時間1時間」

 

 

と言われた。予感的中。

かなり奇抜な実技試験だ。デザイナーの新卒採用試験ってみんなこんななの?と動揺した。

 

折り紙のパッケージを開けて中を見ると24色の四角い折り紙が収まっている。どうしたものかと考えてる間にも時間は過ぎていく。何しろ1時間しかないのだ。

しばらくするとあちこちから折り紙を手でちぎる「びりびり」という音が聞こえてきた。ハサミが配られていたのでちぎるしかない。結局僕は大したコンセプトを練ることが出来ず、花かんむりを被った女の子を制作することを決めた。

 

菜の花のための黄色と黄緑の折り紙を無心にちぎりコピー用紙に貼り付けていく。スーツ姿でこんな幼稚園児みたいなことをしてるのが面白かった。

 

 

そのまま試験は終わった。

とにかく正解のない試験なので達成感も何もあったものではない。

 

制作した作品はすぐに回収されてしまったので他の人の作品は見ることができなかった。今でもあのとき、周りの人がどんな作品を作ったのかすごく気になる。

 

東京に帰るときのことはほとんど覚えていない。バイト先へのお土産で京都バームクーヘンを買いながら「今回みたいな強行スケジュールはもうちょっと無理だな」と思った。ただでさえ就職活動にはお金がかかるからだ。

 

 

その後

 

試験の結果は不合格。

ポートフォリオも郵送で返ってきた。思えば僕のポートフォリオは工業デザインやパッケージデザインなどが多く、彫金やクラフトの作品なんてひとつもなかった。当たり前だ。指輪デザイナーなんてこないだ思いついたんだから。 

 

僕は大学で彫金にのめり込んできたであろう他のライバルたちのことを想った。「そうだよな。おれじゃなくて君たちだよな」と一人で勝手に納得して指輪デザイナーは諦めることにした。

 

あれだけ燃えていたくせに(京都まで行ったのに)落ちたら落ちたで執着しないのが僕のいいところであり悪いところであった。

とにかく、次を探さなければならなかったのでくよくよしている暇はなかった。

 

ただ、僕にはあまり焦りはなくて「ここは僕とマッチしなかったんだな」くらいにしか捉えなかった。

 

この価値観は就活においてすごく大事だと自分で思う。そうでなければ落ちるたびに自分の価値を疑うようになるし、そんなことを続けていればいつか必ず心が折れてしまうからだ。

 

 

つづく

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