デザイナーの頭ん中

「滑走路のために」からブログ名変更しました

【就活奮闘記】カーデザイナー

 

僕の原点

 

 

 

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15歳のときに父親に連れられて東京モーターショーを訪れた。

そこで展示された異形のコンセプトカーを目にして、

「カーデザイナーになりたい。」と思った。

 

その瞬間が僕がデザイナーになる道の最初の一歩だった。

 

 

 

 

それから3年、神奈川の美術予備校を経て

美術大学に入った。ここまでは良かった。

 

 

 

ところがいざ大学に入ってみると

本当に様々な種類のデザインがあって途方に暮れてしまった。

 

カーデザインなんてものは「かっこよくてわかりやすい」仕事だからメディアに取り上げられたりしているのであって、実際にはボールペンをデザインしている人、リモコンをデザインしている人、チラシをデザインしている人、コミュニケーションをデザインしている人.....ありとあらゆるデザインがこの世にはあり、それはデザイナーの手によって世に送られているのだという、まぁ当たり前のことなんだけど、その当たり前のことを理解したのが大学1年生のときだった。

 

 

 

 

子供が親戚の人に一番される質問は「学校は楽しい?」と「将来何になりたい?」だと思うけれど、子供が答える回答は5つくらいしかない。宇宙飛行士・サッカー選手・先生・パン屋さん・ケーキ屋さんだ。

 

18歳の僕は「将来何になりたい?」と問われて「カーデザイナー」と答えた。それは、子供が目を輝かせて「サッカー選手」と答えるのと何ら変わりなかったのだ。

 

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世の中には実に様々な仕事がある。

税理士や動物園の飼育係、ドッグブリーダーやバリスタ....

そういったあらゆる職業を子供は大きくなるにつれて少しずつ知っていく。

そして「おれ宇宙飛行士になりたいわけではないかも?」と気づく。

 

僕はそれが少し遅かったのだ。

 

 

 

ともあれ、大学1年の段階でそれに気づいたのは良かった。

僕は焦点をカーデザイナーから外して、まずは自分の入った「工業デザイン」というジャンルの中で様々な専門分野を学んだ。変に進路を絞らなかったおかげで家具からロゴデザインまで色々な作品をつくることができたが、4年間が過ぎるのあっという間で、進路を決めなければならない時はすぐにやってきた。

 

 

 

 

エントリー

 

大学の求人票でトヨタの求人募集を見かけた。

そして僕は唐突に思い出したのだ。

 

自分がカーデザイナーになりたかったということを!

 

 

予備校時代に何度も観た、

「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組の

奥山清之さんが登場する回。

 

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アジア人で唯一イタリアで

フェラーリのデザイナーとして働くデザイナー...。

 

トリノの街角でちょっとした紙に思いついたデザインをすらすら絵にしていくのを観て「おれもいつかあんなふうに...!!」と毎晩のように思ったのを思い出す。

 

 

 

これだこれしかない!

 

 

 

(僕は就活でエントリーする度に激しい思い込みに陥る。

さながら、ガラスの仮面みたいに。)

 

「カーデザイナーを志して美大に進学するも、日々の忙しさにその夢も忘れ4年が経ったー。就活を前に突如一枚の求人票が現れる。それは中学時代夢見た、カーデザイナーへの切符であった。」

 

というナレーションが頭の中で鳴り響いた。

 

一次試験

 

その日のうちに僕はトヨタのデザイン職にエントリーした。

そのあと一次試験としてどこかのビルでSPIの試験を受けた。

一人一台のデスクトップの前に座らされて、

クイズみたいに色々な問題が出題された。

 

僕はSPIの試験があまり好きではなく、好きでない限り対策もしなかったのだけれど

この時はたまたま通った。(なぜ大学卒業を前にした人間が、円の周りを秒速x cmで進む点Pのことを気にかけなければならないのだろう?)

 

二次試験

 

二次試験は実技だった。

デッサン用の鉛筆とか持ってきていいよ、

みたいな説明が事前にあった気がする。

 

 

まずはデッサン。一枚の資料が配られた。

トヨタのクラシックな車の平面図・立面図で、これを参考に想像力を膨らませながらデッサンしなさいということだった

 

時間は1時間だか2時間だか与えられたので

かなり細部まで描き込まなければならなかった。

 

美術大学に入るときの入学試験はデッサンで入っているので一定のスキルはあったはずだがそれが入学前の話で、大学に入ってしまえばスケッチはしてもデッサンはしない。よってかなり久しぶりのデッサンになってしまった。

でも周りもデッサン慣れしていない人ばかりという印象だった。

 

美術予備校に行っていた人ならわかると思うけど、デッサンに集中してずっと手元で作業していると全体の形がおかしくなってしまうのだ。なので、下手くそだろうが天才的にデッサンができる人だろうが、デッサンをやったことのある人は一定時間ごとに絵を壁とかに立てかけて離れて自分のデッサンを眺める。

僕は頻繁にこれをやって車のバランスやパースがおかしくないかどうかを観察していたのだけれど周りにそういう人がいなかったのが印象的だった。美大出身の人間が少なかったのかもしれない。

 

 

 

 

デッサンが終わった後は昼食だったが、昼食の前に事前に午後の試験内容が告知された。「100万で車をデザイン・提案しなさい」というものだった。

100万の車?一体どういう車だ?と僕は頭を捻った。

 

ティーダっていくらだろう?アクアは?マーチは?

ごちゃごちゃ考えていると、傍で弁当を食べていた二人組が「100万円つったらシートはこうで外装はこんな感じになるよな。」みたいなことをペラペラ話し始めた。

「今日曇りだったから明日雨降るかもな」くらいの

日常的なニュアンスを含んだ会話だった。

その玄人じみた二人組の会話に釣られるようにして他の受験生たちも「やっぱりそう思います?」「5人乗りのファミリー向けだと重量どのくらいになりますかね」「排気量がこのくらいだとFRだとして採算がなぁ」などと口々に言い合い、全体が車談義みたいになった。

僕は明らかにそこから浮いていて(あるいは沈んでいて)黙々と弁当を食べた。ここは僕の居場所ではないなとかすかに思った。まあ、読んでて感じるかもしれないけどなかなか惨めでしたよ!

 

 

 

 

そんなこんなで二次試験のカーデザインをこなして、帰った。どんなものを描いたのか覚えていない。とりあえずファミリーカーで街乗りに合うデザインを考えて、30代の主婦が子供の送り迎えや買い物に使える小回りの利く車、というペルソナを設定して文章を書き加えた。試験終了30分前に車の内装をスケッチに入れてる人がいて、「エッ!内装も提案すんの?!」と焦って描いたこともない内装を見よう見まねで描いた。かなり凄惨だった。

 

それでその日僕は打ちひしがれたようにがっかりして帰った。

後から調べたらカーデザインの専門学校が都内にいくつもあって、おそらく彼らはそういうところ出身なんだろうということだった。それならば車の絵に特化していてデッサンが不慣れなのもうなずける。

 

ポートフォリオを用意していたが、思えばカーデザインの作品なんて一つも持っていなかった。用意が悪いとかそういう以前の問題で、僕は土俵に立ってすらいなかったのだ。

 

 

カーデザイナーは15歳の頃の夢で、それが21歳のときにまた浮かんで、つい無意識に追ってしまっただけだ。そう自分に言い聞かせた。

 

 

そして今

 

僕は東京モーターショーに出展するブースをデザインすることになった。

今25歳なので、あのときからちょうど10年経ったことになる。

10年の道のりを経て、当時思いもよらなかった形で僕はデザイナーになり、カーデザインに少しだけ関わっている。

つくづく人生はわからないなと思う。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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