デザイナーの頭ん中

「滑走路のために」からブログ名変更しました

美大生だけがかかる病気

 

美大生だけがかかる病気で「原研哉病」というのがある。

もちろん半分冗談だけど。

 

 

原研哉さんは日本を代表するグラフィックデザイナーだ。

松屋銀座とか蔦屋書店と言えば思い浮かぶ人が多いと思う。

 

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この病は原研哉の書籍を読んだり

デザインにハマったりすることで発症する。

 

症状が完全に消えるまでだいたい1年、長い人だと何年もかかる人もいる。

 

美大生の何割かは必ずこの病にかかっていて、

苦しんでいたり苦しんでいなかったりする。

 

 

 

具体的にどんな症状が出るのかと言うと、

デザインで色が使えなくなってしまう。

 

 

白

 

 

 

あらゆるプロダクトやグラフィックが

白ベースになってしまい、

やたらと余白を強調したデザインしか出来なくなってしまうのだ。

 

 

 

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ただ原研哉が生み出すものが白いのは長年のデザインの蓄積の中で彼が「たどり着いた」からそうなっているのであって、その辺の美大生が作品を白くしたところで「色を塗っていないだけ」なのである。そのことに気づくのにだいたい1年くらいかかる。

 

 

病を克服するまでの間は「これがスタイリッシュだ」と言わんばかりに白いデザインを作り続けるはめになる。

たちが悪いのは白いものをつくるのは簡単だということだ。

 

例えばポスターのデザインをするとして、写真を入れるでもなくイラストを置くでもなく真っ白な空間にポツリとキャッチコピーをやたらと小さく入れる。課題提出みたいな。そして教授に叱られる。「ちゃんとやれ」と。そして学生は首をひねるのだ。「尊敬する原研哉みたいにデザインしたのになぁ。と。

 

 

 

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僕は大学3年の頃、この病にもろにかかり、特に「DESINING DESIGN」や「日本のデザイン」をひたすら読み込み、教祖のように崇めたてた。というかそういえば就職活動のときも原研哉が代表をつとめる「日本デザインセンター」という事務所に履歴書を送っていたわ。

 

日本の引き算の美学みたいなものは「シンプル」ではなく「エンプテイー」なのだ。そこには猶予や余地といった要素が備えられている。それは能や狂言でも言えることなのだけれど手が加えられていない空白の部分をあえて残しておくことで真理を伝えたりより深く物事を表現することができるという発想は全て原研哉の書籍から学んだ。

 

 

ただ何度も言う通りこの病に取り憑かれるととにかく色を使わなくなってしまうので注意が必要。色が使えるのにあえて白を使うのと、白しか使えないから原研哉っぽいデザインをでっちあげるのとでは天と地の違いがあるし、そのまま勉強を続けるとどこかで必ず無茶苦茶苦労することになる。今でも色を組み合わせたりするのは(色彩検定の資格をもっているくせに)苦手だ。

 

他にも亜種の病で透明なものにしか価値が見出せなくなる「吉岡徳仁病」や、原研哉病を拗らせた結果、白い価値観から出られなくなった人が行き着く「深澤直人病」があるが、彼らは巨匠であらゆる表現を試した結果行き着いたのであって、行き着いてもいない美大生がそれを繰り返して作品を気取ってもそれは本物ではないのだ。

 

 

まあ、それでも原研哉の書籍はすごく勉強になる良書なので

危険な劇薬であることは疑いようもないのですが。

 

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

 

 

 

デザインのデザイン

デザインのデザイン

 

 

 

おしまい。